矢島君、慶子さん結婚式
会社では5組目になる社内結婚の式に招かれてきた。
こんな「出会い」を作れたのを社長の立場として嬉しく思っている。
多少照れくさいけれど、主賓としての挨拶は下記です。
お祝い
矢島衛君、西須慶子さん 念願の結婚おめでとうございます。
また矢島家宮沢家の皆さん、西須家の皆様に心よりお祝いを申し上げます
私はただいまご紹介を頂きました創風システムの石塚修です。
本日の主役2人が会社の社員でいてくれる縁でここに立たせて頂いています。
東京生まれの矢島君と、東京銀座のファッションの最先端で働いていた慶子さんとの2人が、同じ時期、私の会社に勤め始めたのは、多分大きな神の意志が働いていたとしか思えないのです。
今日も、このお祝いの席に大勢の同僚がお招き頂いています。周りから見ていて、この二人が何時どうなったのか、どちらが先に動き出したのか、彼らに聴いてみて下さい。日報を詳しく見れば判るかも知れません。
矢島君のお母さんの実家である宮沢家は、旧南鯖石村小清水に52代にわたり1100年以上続く鯖石神社を守り通していられます。戦後東京で車のブレーキメーカーとして活躍された先代宮沢益二郎さんが、同時に鯖石神社を守り通してこられたことは、南鯖石出身の我々の誇りであります。
また、大正時代小清水集落と鯖石神社に多大な被害をもたらせた「小清水の大ぬげ」は東大の地震研究の源流でもあり、神への祈りにより鎮まっていることも知っているつもりです。
昨年、東日本大震災のあと、矢島君西須君と3人で津波の痕も生々しい南相馬の海で、鎮魂の祈りを捧て来ました。多分、生涯残る思い出になるのだろうと思います。
慶子さんは、内に秘めた激しい自分を持っています。スプリンターとして、ファッションの最先端で戦い続けてきたのだろうと思います。今、本当に安らぎの場を得られたのかなと、少し離れたところが見ながら、嬉しい気持で一杯です。
後で、ボーカリストとしての矢島君の歌を聴かせて貰うのを楽しみに、二人へのお祝いの言葉にさせて頂きます。
今日は大変おめでとうございました。
連休、終わり。
春の連休も今日で終わり。
痴呆症に徹しようと仕事のことは考えないようなしていたつもりだが、寝ても起きても頭の中は自動的にスイッチが入っているらしい。気がついた時には電源を落とし、山を見ている。嫌な感じ・・・。
酒を口にしない日が1ケ月以上続いている。
体中の酒毒を抜くためにはもう少し時間が必要なのだろう。酒乱生人生論の主宰者としては、酒を止めるわけには行かない。酒の楽しさと効用を熟知しているからではあるが、人生は酒を如何に楽しく飲めるかに掛かっているし、この楽しさを知っているのは人類だけだろう。猿か宴会をしているとは浅学にして知らない。
しかし、酒を飲めない効用、と言うのは確かに存在する。高齢になって脳細胞の死滅の速度にブレーキを掛けているようにも思う。言い訳じゃないよ。自己観察の中間報告。
ドクトル・ジバゴ
連休の後半は雨模様、只新緑が美しく家に居たたまれず、上越方面に足を伸ばした。柿崎から潟町には幾つかの池があり、地元の人達が大切にしている。杉木立や雑木林の中に遊歩道があり、人気のない道の散歩を楽しんできた。
会社の経営者であれば肩凝りなんて職業病みたいなものだが、さすがに週に1度の針、2度のマッサージとなると重傷で、治療費も大変だ。
4月3日(火)の大風以来、一滴の酒も口にしなく、血圧の薬と筋肉弛緩剤?を飲み続けている。連休の間にドリンク剤は止めることが出来たようだ。少しづつ、体調が回復しているようだ。
治療法は森林浴と音楽。
古いCDを聴いていたら「ララのテーマ」が流れてきた。ローソクの灯だけで聴いていると、身体の奥底から熱いものが吹き出してくる。
「ドクトル・ジバゴ」
革命の時代に翻弄されながら、オマー・シャリフとジュリー・クリスティが織りなす愛は、素晴らしすぎる映像と「ララのテーマ」のメロディが心の根底を揺さぶり続ける。
あの映画の始まりから最後まで記憶が心を波立てていく。